めでたい街でブレスレットをほめられる
土曜日、友だちに誘われたので、寿町を撮った古いドキュメンタリー映画を観に行った。
ちょうど2年前まで、コトブキでも3年は仕事をしてたから、あの街のことは、普通の人より知ってる。いや、かなり知っているかもしれん。簡宿(簡易宿泊所)はヤドで、管理人は帳場さんだし、基本的には3畳でトイレと台所は共同、ヤドにはたいていコインシャワーとコインランドリーがある。なんてこと以上に。
コトブキ(寿町と松影町と長者町の一部の簡宿街)の喫煙率とつっかけサンダル率は日本一だと思うし、前歯が無い率もかなり高いと思われる。路上での横臥率もね。
そういえば、よく一緒に仕事をした、10年もコトブキ担当のAさんの名前は寿朗で、コトブキで仕事をするために生まれたようなもんだね!とちゃかしていたが、今は他の区に行ってしまった。
さて、Lプラザに着いて友だちにラインすると、Lプラザがイマイチわからないようで、こりゃ出て目印にならないとなーと思って外に出ると、向こうに友だちがいて、手を振ると気づいたけど、運悪く信号は赤になるところだった。
信号の向こうはコトブキで、初秋のまぶしい光。わたしの隣には、石川町駅前のスーパー青葉でたくさん買い物して、たぶんヤドに帰るおじさん。もしかして同い年くらいかも、のおじさんが急に話しかけてきた。
「その、なんていうの、ブレスレット、映えてるね」あーコトブキの飲み屋のおばはんと間違えてるか?「ありがとうございます。」「あの、足にするのもあるよね、それもすればいいのに」あーアンクレットなんか考えたことなかったー。「買うお金がないんですよ」「そんなことないでしょう〜」
で、やっと青になり、友だちが、むっちゃ笑いながら横断歩道を渡ってきた。「話しかけられてたね〜」
手を振った時の、ちっちゃい一粒ダイヤのブレスレットがおじさんには気になったのだな。
コトブキは男ばかりの街で(最近は女の人も増えだと言っても)、アクセサリーをしてる女の人は飲み屋のおばさんぐらいで、あの、簡宿街と一般地区!(という言い方をわたしたちはする)をへだてる道路のこちら側(まるで此岸のようだがそこも町名は寿町なのだ)で、わたしは、ブレスレットをほめられたのだ。お彼岸に。
それから、1975年のコトブキの映画を観た。モノクロの。うーん。1年住み込んで、とは言うけど、撮っている人はやはり外側から覗いている人だった。
「世の中が豊かになっていけば、寿の住人は減ると思ってたけど、逆に増えているんじゃないか」と言っていた住民の久保さんの言葉が印象的だった。
あと、秋田出身の人の江差追分が上手くて、ソイーソイッと合いの手を入れたくなったとか、追いはぎに遭ったべらべらしゃべるオヤジが、どう考えても父さんとおんなじ話し方だと思ってたら、やっぱり北海道の人だったとか。
しかし、北海道の男は、なんであんなにおしゃべりなんだろう。松山千春も大泉洋も杉村大蔵も掟ポルシェも!(順不同)
1975年は40代が何人も死んで行ったコトブキも、今は老人ばかりで、歩行器や車椅子でトロトロ歩いている。コトブキは西成とは違って、住民票をおけるから生活保護を受けられると聞いたことがある。最近は精神障害の、比較的若い人も増えているみたいだ。
昔は今よりずっと危険だったと言う。川の向こうに住んでいる人が、近道でもタクシーは寿を通らなかったと言う。だって、当たり屋がいるから!当たり屋って!ホントにいたのか!って感じだ。
終わってから、友だちと関内駅前のフレッシュネスで、映画の感想だのコトブキだの、仕事のことなど語り合って別れた。
そうだ、映画の前は、古い友だちのうっちーと中華街の状元樓で、昼から食べて飲んだのだ。11時半過ぎたら、あっと言う間にあの大きな店が満員で驚いたけど、とにかく料理が来るのが早すぎて、残念だった。だって、食べる頃には冷めちゃってるんだもの。食べ物って、温度だ。特に中華はそんな気がする。ていうか、冷めていくあったかいものを見ているのが辛かった。お店の雰囲気は良く、味は、香辛料がいい感じ。
うっちーは来年早々に1ヶ月近くバハマに行くらしい。バハマかー。アメリカ人の新婚旅行の場所だって、ケビン・ベーコンの映画で知った。レックレス・エリックの好きな曲にも出てくる。
Wreckless Eric - Whole Wide World (single 1977) - YouTube
カリブ海は青いかな?
なんか、濃い一日だった。めでたい名前の街コトブキのおじさんは、なぜわたしに話しかけたのだろう?