3月10日は陸軍記念日

3月10日は、母さんの誕生日だ。83歳になった。

「本当の誕生日は2月なんだってさ。わかりやすく陸軍記念日にしたみたいだけど、今は誰もわかんないよね。」と言っていたので、今回は、「本当は何日なの?」と聞いたら、「2月21日」と即答された。前に聞いた時は、もっとあいまいだったような気がするけど、まあいいや。

陸軍記念日だけど、東京大空襲の日だものね。だけど、大震災と一日違って良かったと思ってるよ。」そうなのだ。

だいたいにして、出生届のタイミングもそうだけど、母さんの父親は子どものネーミングもかなり変わっている。母さんは長女らしい普通の名前だけど、すぐ下の妹はギヨ子!天皇行幸した年だか月だかに生まれたから。そして待望の長男は精良。せいりょうおじちゃん、と何の不思議もなく呼んでたけど、熟語の「すぐれて良いこと」の意味ではないと思う。

そのギヨ子おばちゃんも、精良おじちゃんも、もうとっくに死んでしまった。65歳と70歳くらいだったと思う。母さんは8人きょうだいの長女だけど、妹やら弟が先に死んでしまい、残っているのは4人になった。

どんなときでも、母さんは穏やかでユーモアに溢れていて、自分は不安でいっぱいでも人を安心させる才能を持っている。初めて遠くの町に受験に行く時、忘れ物王者のわたしに母さんは言った。「なんも、お金と受験票さえ持っていれば大丈夫だから。」その言葉でどれだけ安心しただろう。まあ、でも下見の時に旅館にお金忘れて大変なことになったんだけど、それはそれだ。

合格した時も、母さんは一緒についてきてくれて、旅館を決めて泊まり、下宿探しをしてくれた。当たり前のように思うけど、その時初めて母さんは北海道を出たのだ。隣の家から嫁いできて、一人で旅行なんかもちろんなかった。

何でこんなこと思うかというと、子どもの頃水害で土地が川になった怖い記憶があるとか、10代の頃近くの集落で強盗殺人放火事件があってそれからは暗くなるとカーテンは開けられないとか、普段そんなことはみじんも感じさせない人が、本当に取り乱していると感じたことがあったからだ。

それは、母さんの14歳下の妹が死んだ時だった。電話を取ると「ユーコ、りっつが死んじゃった」声が硬くて、その後がなかなか続かなかった。あれは、知らせる電話ではなかったと思う。不安を分かち合う電話だ。

律子おばちゃんとその下の末っ子のおばちゃんは、いつもわたしと遊んでくれた。猫と一緒に。橋幸夫舟木一夫で二人がもめて、あんたはどっちが好き?と詰め寄られたこともある。二人と友だち何人かが、じゃんけんで替わりばんこにわたしをおぶって歩いてくれた遠い記憶もある。今思うと、足手まといな幼児だったのかもしれない。

律子おばちゃんは、いろいろあって若い頃に故郷を後にしたけれど、その後は、ずっと平穏に暮らしているはずだった。なのに、突然、6階の自分の家から飛び降りて死んでしまったのだ。52歳だった。猫に餌をやってあった。

その半年か1年前にギヨ子おばちゃんが胃がんで亡くなっていて、かわいがっていたから呼ばれちゃったんだね、という話をみんながしてた。

そうだ、母さんだ。母さんに誕生日の電話をしたら、母さんは両親の話をし始めた。父親は58歳、母親は62歳で亡くなったけれど、「その時は自分も若かったから、もう年だからって思ったけど、今思うともっと生きたかっただろうねぇ」

母さんの親戚は、ほんとうに短命が多い。だから、毎年毎年生きていることを感謝しているのが、「両親91歳と95歳まで生きたから、オレはまあ90迄は生きるつもりだ!」と意味なく豪語している父さんとは違うとこだ。

わたしはなにかと父さん似で残念だ。

f:id:youcon:20180317013220j:image父さんと母さん2016年余市